2002年11月30日(土) 第49番 へ短調 作品68-4 

ジョン・アーヴィング「第四の手」読了。
久しぶりに軽くてユーモラスなのを書いてみたのだと思って読んだが、うーん、失敗作?
むう、題材が悪かったとしか思えない。この部品じゃキチンと完成しても見栄えが悪い、という感じ。

昼頃、ハセガワさんから久しぶりにTEL。近況というか、とりとめなく長話を。

夜、よっさんの新居で鍋。092くんと。
いやー、帰国してからあまり人に会ってなかったので、ここぞとばかりに旅行話を。
最後はおじや作って満腹。ごちそうさま。
いい場所だったなー。気分よく電車で帰宅。

月末か。しかし今月は反省することが多すぎる。遊んでばかりじゃイカンね。


 2002年11月29日(金) ゆとらんど 

ぼんやりとした一日。やべえ、今週ずっと生産性ゼロだ。
でも旅行でグチャンコになっていた部屋が一応片付いた。
ごそごそと深夜徘徊。りんご買ってきて齧る。うめえ。

▼購入書籍
黒田硫黄「大日本天狗党絵詞(1)」(アフタヌーンKC)
ツルゲーネフ「ルージン」(岩波文庫)


 2002年11月28日(木) 通学路違反したアイツ 

あら、声が出にくい。カゼの名残か。

朝5時くらいから音楽制作。なんかリミックスみたいなことをボチボチ。
ただの遊び。なにをやってるんだか。でも珍しく完成したので誰かに聴かせよう。

夕方、下北沢のライフライク事務所へ行く。コーヒーが美味しかった。
んで、ヨシダレコードまでダンボール抱えて行ってrisetteの新譜を納品。地道な作業だなー。

帰って数時間眠る。頼まれてた仕事を思い出して急いで作業。メール出す。


 2002年11月27日(水) 「応募」以外に「どしどし」のつくコトバが生まれてゆく… 

記憶なし。ひきこもり。

テレビで「めぐり逢い」(1957年アメリカ/レオ・マッケリー監督)を観たな。
「いい子にしていれば、次のクリスマスにはきっと」というセリフが秀逸です。


 2002年11月26日(火) キラキラシール 

いまだに自宅にて療養中。まったく、どうにも無気力状態でして。
しかし夜8時、3日ぶりに家を出てみる。新宿ABCへ。でも不在中に出た新刊が多すぎてクラクラ。
まったく文字を読む気がしないのでタワーレコードへ。
risetteの特設コーナーをチェック。なくなる前に見てくれ!売れてくれないと困るんだよー。
今回のアートワークは、いろいろと不満や手ぬかりがあるんだが、
それでもなお、(基本的には)25年間の集大成というつもりで制作してます。

今日もお粥。おいしいので。

深夜3時ごろ、ドンキホーテで買い物してたら、岡安くんと森野さんから遊びに来たとのTEL。
ちょっとだけウチで喋って解散。

▼購入書籍「TVブロス」(東京ニュース通信社)


 2002年11月25日(月) 火事アフロ 

1日静養して、熱はやっと下がったが、腹痛と下痢がきたので午後までずっと寝てました。
森野さんと番井くんが、差し入れ持って見舞いにきてくれたので、ごそごそと起きだす。
そういえばおとといの夜からバナナ1本しか食べてないんだった。ふう。
病み上がりっぽく、おかゆと梅干を食べつつテレビを見る。
テレ朝「ダークエンジェルII」。いいねー。ていうかこんなグロいのは日本じゃ出来ないのな。


 2002年11月24日(日) ぞうきんしぼり 

夜中に寒くて目が覚める。
毛布と布団掛けて、暖房してるのに全身の震えが止まらず、金縛り状態。
1時間くらい苦しんだ挙句、やっと体が動くようになったので、
これは食中毒かねー?と思ったりして、119番で救急車を呼ぶ。
さっそく駆けつけてくれた救急隊員は「どうしよっか、コイツ連れて行こうか?」てな感じで、
まぁこっちもねぇ、一人暮らしだし、保険証と財布と携帯電話くらいはちゃっかり準備して待ってるわな。
ははは、結局乗せてくれたんですけど。
そしたらさぁ、アレですよ、救急車の中で過呼吸になっちゃってね。正式名称は過換気症候群ですっけ?
もちろん自分がなるのは初めてで。
これは心的要因からくるものなので、えーと、かなり恥ずかしいんですが。手足がガチガチに硬直しちゃって。
まぁ悪寒とその両方で、かなり最悪な状況でしたが、病院ついたら、「風邪だね」と一言。
あっさり注射打たれて、点滴されて、朝9時には追い出されました。
仕方なくパジャマでタクシー拾って帰りましたよ、ええ。
でも熱はあるし、立つのもやっとのフラフラ状態には変わりなく、帰って一日中寝てました。


 2002年11月23日(土) 統一世代 

帰国。成田からの2時間の電車が長く感じられる…。

森野さんと「なか卯」でメシ。
帰国にいたるまでの事情を手短にまとめて説明したり、
不在中の状況とか今後の予定などを軽く打ち合わせ。
事務所で、レコ発ライヴの映像も見せてもらう。

さっそく写真を現像に出す。ははは、フィルム失くしちゃかなわんからね。
ええと、イマイチでした…。ていうかこの枚数で、こんだけムダがあると悲しいよなー。
慣れてきたのでブレなくはなったけど、水平に撮るのもムズかしい。

そうそう、欧州ではt.A.T.u.というロシアの女の子2人組が大ブレイク中でした。
テレビでも毎日PVが流れてたし、プラハでは街中にライブ予告のポスター貼ってあったし。
http://www.taty.us/bestphotos/big/tattoo577.jpg


 2002年11月22日(金) グレート義太夫 

起きてみると意外とスッキリ気分。まぁ諦めがついた。

パスポートの再発行をせずに、臨時の渡航証を発行してもらって帰ろうと思ったのだが
朝、大使館に電話してみると、その手続きには航空券も必要とのこと。
再び空港へ行って、昨日(日本の旅行会社が深夜で営業時間外だったので)問い合わせてもらっていた
再発行の航空券を受け取る。

再び大使館へ。
すると、「ついさっき『バッグとパスポートが見つかった』と警察から連絡があった」とのこと。
おおお、治安のいい国で助かったな。
いやー、大使館の人には色々と御尽力いただきまして、ありがとうございました。ぺこり。

昨日行った、終点の駅にある警察へ。
警察のおばちゃんがいて、顔を見るなり「あ!あんたね」という感じで渡してくれる。
入ってたお金(日本円)だけ盗まれてましたが、どうでもいいことですね。

ええと、それから風車を撮りに行きましたよ。昨日の恨み、という感じで。
そして午後には無事、機上の人になっていたのでした。ぐったり。


 2002年11月21日(木) ぽち袋 

帰国の日。
午後の飛行機まで時間があるので、風車(発電用)の写真を撮りに行く。
いちおう場所は日本で調べておいたので。

駅に着いて歩き出そうと思ったら、背中が軽い。あ!電車の座席にリュックを忘れた…。

青ざめたねー。
だってパスポート、航空券、旅行ガイド、未現像のフィルムが全てその中に。

終点まで追っかけたり、八方手を尽くしたが、結局見つからず。がっくり。
教えてもらったデンマーク鉄道(DSB)の落し物センターの番号に何度も電話するが
"Sorry, We have not found it."の一点張り。

デンマークの日本大使館へ行く。それ以外にないですよね?
そもそも「大使館」て英語で何て言うんですか?
それがわからないと場所も聞けないじゃないかYO!

パスポートを再発行してもらうには、まず警察に遺失物届けを出さないといけないらしい。
あと、航空券は、空港のカウンターに行って、今日の便に乗れない旨を説明して再発行の手続きをすればいいと。
はいはい、やりますよ全部。僕が悪いんです。

大使館が4時で閉まっちゃったのでパスポートの手続きは間に合わず。
朝にチェックアウトしたホテルに戻って部屋をとる。
泣きたい…。
もちろん着替えも残ってないので下着を洗う…。


 2002年11月20日(水) いいだろう?(ミスターマイセルフ) 

朝からクロンボー城へ。「ハムレット」の舞台ですね。エルシノア。
気温は氷点下で、地面が凍ってた。凍土。観光地のわりには何もないなぁ。
こんな寒いところで、しかも海のそばに城を作っても誰も攻めてこなそうなんだが…。

それからルイジアナ美術館へ。アルネ・ヤコブセン展をやってた。やっぱ国内でも人気があるんだね。
中庭があって外に出たりできるという美術館。海に面していて眺めも良い。
外にあるジャン・デュビュッフェのオブジェの前で記念写真。

カレン・ブリクセン記念館のある、ルングステッド駅に着いた時には午後3時40分。
ここから歩いて20分らしいので、4時の閉館に間に合わない。
バスがあるらしいんだが、適当に乗ると確実に間違うという確かな予感。
もちろん、ひたすら走りましたよ、ええ。
デンマークで、氷点下で、しかも牧場のあるような田舎道を全力疾走するとは…。

着いたら3時50分。当然、受付で「今からじゃ全部見られないから明日また来い」と言われる。
粘ってたら、「じゃあ、上にあがって見てきなさい」とのこと。あれ?タダでいいの!?
ま、ここに行く、という行為が目的だったので、展示自体は別にちらっと見られれば満足なわけで。

走ったせいで、足がヘロヘロ。でも街へ戻ってカードでいろいろとショッピング。洋服とか。
明日は帰るだけなので、荷物が重くても何とかなるだろう、と。


 2002年11月19日(火) 超アムロ 

午前中、デンマーク・デザインセンター(DDC)へ。
ひゃー、北欧デザインは保守的でアクがないとか言われたりするけどさ、
ここまで完璧に北欧的美意識を貫いてるなら、そういう批判のほうがよほど恥ずかしいよなぁ。これはすごい。
2階では、デンマーク・デザイン賞(Den Danske Designpris)の今年の受賞作が展示してあった。
そこでまぁ、今、一番注目してたFF Signaというフォントがタイプフェイスデザイン部門の大賞だったり。
この日は、なんかクロワッサンとかコーヒーが出てて、別室に昼食の用意もあったりして、
スーツ姿の人がたくさん招待されてるみたいだったから、レセプションもあったのかなぁ?

午後は電車でスウェーデンのマルメへ。50分くらい。近いし、まぁ単に訪問国数を稼ぐためです。
うろうろして、ちょっと両替してメシ食ってすぐ帰る。


 2002年11月18日(月) ぼそぼそごはん 

朝から荷物をまとめてバスでツォー駅へ。テーゲル空港行きのバスに乗り換える。
そしたら、途中で泊まってたホテルの前のバス停に停車してやんの。ちきしょー。

空港のそばにあった川がきれいだったので、荷物(21kg)を預けた後は散歩。死ぬほど天気がよい。

飛行機はちょっと後れてデンマーク/コペンハーゲンへ出発。ここで日本人の男性の方が隣になったので喋る。
コペンハーゲンに10年住んでいて、家具関係のお仕事をされている方だそう。出た!北欧っぽい〜。
いろいろと現地の話を聞いたり、ベルリンの感想を話したりして楽しかった。まぁ1時間しかないんだけど。
大人と話すのはいいな。余計な事聞かれたりしないもの。

ホテルは(唯一)日本から予約してあったのでさっそくチェックイン。駅のすぐそば。
まだ昼間なので、ストロイエでショッピング。怪しい雑貨屋でクッションを買う。

部屋の洗面台で洗濯。


 2002年11月17日(日) DNA焼き 

ベルリンをぶらぶらと観光。
ドイツでは、日曜日は例外なく店が閉まっているという事実。
まぁ100%なら諦めもつくよ…とほほ。ショッピング出来ず。

バウハウス博物館へ。ううむ、ストイックですな。
バウハウスデザインのキッチンがいかに機能的か、という当時の宣伝ビデオがあったんだけど、
使ってみせる人がみんなロボットみたいな動きなのね。うはは。それなら便利だー。

ベルリンの街はかっこいいなぁ。数学的、理知的、機械的という感じ。
建築中の建物もたくさんあって、これからが楽しみ。


 2002年11月16日(土) バルバロイ侵入 

中央駅で荷物を預け、市街地を走り回って買い逃したお土産を買う。

午後はGAMBRAギャラリーへ。今回の目的地のひとつ。
ヤン・シュヴァンクマイエルの自宅がシュールレアリスムのギャラリーになってるんですね。
ここが今のシーズンは土日しか開いてないので、プラハ滞在が一日伸びた。
や、休みの日は調べてあったんだけど、スケジュールと合わせてなかったので意味なし。
かなり狭いスペース(ただの部屋だし)に、ヤンとその妻エヴェや、他の作家の絵や陶芸作品がたくさん。
最初入ったときには、おばさんが一人いるだけで電気がついてなかったので怖かった…。
暗い中でしばらく観てると、「あなた、ちょっと留守番してて」て一人取り残されて、
しばらくしたら戻ってきて電気をつけてくれたよ。

ホロショヴィチ駅に行ってベルリン行きの切符購入。なんとか3時の電車に間に合った。
車内はガラガラに空いてた。途中、東欧ぽい景色の連続で大満足。
霧と河、深い森、半壊の工場、ムダに何キロも続く巨大なパイプライン、折れた鉄塔。
ひと眠りして、5時間後にはドイツ/ベルリン到着。ふう。


 2002年11月15日(金) 36メートル道路 

Museum of Decorative Artsというところへ。
チェコ・グラスアートの巨匠、パヴェル・フラヴァ氏の展覧会をやっていた。いいねー。

物価が安いので、お昼はちょっとしたお店に入ってランチ。
まずは濃厚で温かいスープとビール。
そしてロースト・ポーク、クネドリーキ、酢漬けキャベツ、というメインディッシュ。
デザートは、たっぷりとブルーベリーソースがかかったケーキ。
最後は美味しいエスプレッソ・コーヒー。
これで1000円しないぐらいなんだから、チェコは楽しいなぁ。

大きな図書館があったので入ってみる。
いきなり、本を円筒状に天井まで積み上げた巨大オブジェがあってびっくり。カッコ良すぎる。
その他、シンメトリックな書架の配置や、中央の円形カウンター、細いらせん階段など
いるだけで嬉しくなるような素敵な空間。当然、利用者もたくさんいて、みんな真剣に本を選んでる感じ。
とにかくまぁ、日本の図書館建築だったり、地域の公共スペースはいかにあるべきか、と日々考えてる人や
文部科学省、地方自治体の担当職員は今すぐ視察に行くべきだと思うのですが。

夜、コインランドリー探してウロウロ。歩いて見つかるもんじゃないよなー、と思ってたら、
足が勝手に動きだして、気がついたら洗濯屋の前(しかも道は行き止まり)にいて驚いた。フシギ。

ドストエーフスキイ「カラマーゾフの兄弟」(岩波文庫)読了。
圧倒的な内容で、特に言うことも見当たらないんだけど、無神論に対する解答、という、
個人的にも、今、まさに問題にすべきテーマでして、
ベストな時期に良いシチュエーションで読めたのではないですかね。
時間をかけて細かいところまで読んだので、あとは、今後じわじわと効いてくるのを待つしかない。


 2002年11月14日(木) キミが、弾厚作? 

この日、ノートに記述なし。


 2002年11月13日(水) ウイスキーボンボン 

朝、ユースホステルのドミトリー(1泊200Kc/約800円)で目が覚める。
ベッド数は20以上だな。うーむ、どちらかというとハズレの宿なんじゃなかろうか。キタナイ若者がたくさん。
朝食はシリアルとかフルーツだったっけ。たくさん食べて元気を出す。昨日はクタクタだった。

朝から別の宿を探す。
日当たりが良くて、1000Kcのペンションがあったので手を打つ。荷物を置いて市内散策。
チェコはすごく奇麗な街だなー。
観光案内所の隣で、例の大洪水の写真展をやっていたので観る。こりゃ大変。
その後、カレル橋〜プラハ城、という一般的な観光コースを巡る。

ずっと探していたQ-FEELのレアなLPを、ふと立ち寄ったレコード屋で発見する。
ありそうな気がして、Qのコーナーから探したら、本当に見つかったので腰が抜けそうに。
プラハ、恐るべし。


 2002年11月12日(火) クラーク博士ちゃん 

朝から荷物整理。昼はパスタ。
なんで12日間も同じところでウダウダしていたかというと、
うーん、海外移住したらこんな感じかな、というシミュレーションでして。
家に住んで、料理や洗濯とかをしつつ、四季折々の日常生活を送るという行為が、
国外という環境にに於いても果たして可能かどうか、ということを(わりと真剣に)考えていたわけです。
結果は別に。そして旅行はこれから。

ブリストル国際空港まで河西が見送りに来てくれる。ああ、どうも。
go-flyなんて航空会社があったりするんだねー。ていうか日本にいただけじゃわからない事は多いよ。
お世話になりました。健康に気をつけて!

飛行機から見えたプラハの夜景は、宝石箱のようにキラキラと輝いておりました。
ええと、視力の悪い人でしたら、夜にメガネを着用すると、
信号とか、車のライトの光がキュッと小さくまとまる感覚がわかると思うんですが、
つまり、この時はメガネがないので、夜景の灯が全部キラリーン!と
上下左右に伸びて星のようになっていたわけですな。
それは目が悪くなって美しく見えるようになったもののひとつです。

夜9時ごろ、プラハ・ルズィネ国際空港着。
英語の案内が全然無いのはなんとかしてくれー。市内までどうやって行くんだよ!
夜だしさ、ウロウロしてるとすぐ怪しい人が寄ってくるのがもう鬱陶しくて仕方ない。
あ、バスに乗るんですか。

なんとか地下鉄の駅のある場所まで辿りつく。
で、地下鉄に乗り換えてプラハの中央まで行けるかと思いきや、地下鉄がなぜか閉鎖中。
夏の大洪水以来、地下鉄はほとんど動いてなかったんですが、それに気付いたのは2日後でした。
代替のトラムが動いてて、それに乗って行く。ははは、チェコ語じゃ旅行者にはわかんないよー。

深夜0時近くになって、真っ暗な夜道を宿探し。
すでに19kgを超えているスーツケースを引きずりつつ。
しかしプラハは道路が全部石畳で、スーツケースのタイヤと相性悪いんだな。タスケテー。


 2002年11月11日(月) 計算ドリル 

日中はわりとムダに過ごす。
いや、ほんとはこの日にブリストルを発ちたかったんだけど、飛行機が高かったの。
天気が良かったので、公園で「カラマーゾフ」読む。
大きな本屋に行って、どんな小説が売れているのかチェック。でも一冊あたりの価格が高いよね。
イギリス人の若者は本を読まない印象があるんだが。

夜、映画「交渉人」(1998年アメリカ/F・ゲイリー・グレイ監督)をTVでやってたので観る。
英語の字幕を必死で読みつつ、画面も観なくちゃいけないので、2時間思いっきり集中してて
見終わった後にグッタリ。ええと、面白かったです。ネゴシエーター。

イギリスで最後の晩餐。


 2002年11月10日(日) あぶり出されたメッセージ 

北のほうへテクテク歩く。
rivertrimという小さな川に沿って歩いていくと、突如として険しい森に。
あれまー、けもの道じゃないですか。野生のリスがたくさんいてかわいい。
でもさすがに道がなくてあせった。

夜はカサイとPUBへ行って、こっちでサンデー・ローストと呼ばれる、まぁ日曜定食みたいなモノ?
そういう日曜だけのメニューを食べる。
どんなものだったかというと、焼いただけの肉と、フライドポテト、グリーンピース、人参、
あと、ヨークシャープディングという柔らかいパイ生地?
それらが一つの皿に盛られていて、グレービーソース(つうか単なる肉汁だろがよ)がかかってるだけ。
全部単に素材を焼くか茹でるかしただけじゃん!全部同じ味付けじゃん!
しかも小袋入りの塩とコショウとマヨネーズ等が、お好きに使ってください、という感じで付いてくる。
おおっと、味付けすら自信ないのかよー。参ったな。
僕が今さら言うまでもないんですが、イギリスの食文化における想像力の貧困さを目の当たりにして驚きました。
今世紀中に料理の色使いとか、食器にまで気を配る日が来るとはとても思えないねー。


 2002年11月9日(土) ウランちゃんとプルートー 

昼飯にカサイが唐揚げを作ってくれる。めちゃんこ美味しい。
まぁ毎日料理作ってもらってて大感謝なんですが。

Bristol Industrial Museumへ。ブリストルは造船、航空機製造、印刷など、工業の町でもあるようで。

夜、森野さん(日本)から電話。

TVで「ダーク・エンジェル」観る。ああ、これくらいなら英語わかりますよ。
まぁイギリスのTVは字幕放送も出せるので、それのおかげですけどね。

夜はグラタン。またまた美味しい。カサイは料理上手くなったねー。


 2002年11月8日(金) ハタ包み 

インターネットカフェで、飛行機のチケットをオンライン購入。

Bristol City Museum & Art Galleryへ。なんかね、意外と面白かったです。
子供が夏休みに観に行くような鉱石とか野生動物の展示があるかと思えば、
18、19世紀の絵画や美術、古いピアノまで置いてあったりして、わけがわかりません。
建物も古くてデカイ宮殿みたいなの。

夜はサヤカさんという、カサイの留学生友達の結婚報告パーティについて行く。
国際結婚だって、ほほー。てなわけで日本食パーティ。
15人くらいゲストいた?別にそれぞれが知り合いなわけじゃないし、
僕も別に旅行者だとか思われてないからさ、外人にガンガン英語で話し掛けられてあたふた。
まぁわかったようなふりをするのも得意ですけど。まぁちょっとは話もわかるようになってきたかな?
ていうかイギリスではこっちがガイジンですね。


 2002年11月7日(木) 出たな、ツタン仮面! 

Cribbs Causewayというところのショッピングセンター(こっちではThe Mallと呼ばれてる)へ。
余裕のあるチェーン店が「とりあえず置いている」だけの店舗ばかり、というサムすぎのショッピングモール。
ほほほ。田舎野郎。あんた達、しょせんイモね。

その後、遠出してPortisheadまで行こうと思い、バスに乗ったんだが、
どこがポーティスヘッドか分からず降りれないことが判明。
ははは、結局終点のWeston-Super-Mareまで行きました。
ここは海岸の街でね、まぁ夏のリゾート地なんだそうですが、
こんなシーズンオフにはもちろん誰もいなくてリゾートの残骸が…。
でも一人でかなり頑張って探検しました。風がつめたいー。


 2002年11月6日(水) スポイド根性 

日本に手紙を書いたりしつつ、昼前には家を出る。
昨日までは基本的にカサイが案内してくれてたから、今日から一人で行動開始。

なんかウロウロしてたら知らぬ間に丘の上にのぼってて、街が見渡せたよ。おお、絶景!

英国で大人気の家具販売ショップ「IKEA」( http://www.ikea.co.uk/ )へ。スウェーデンの会社なのね。
郊外の大型店での大量販売。安いし、日本にもそのうち上陸するだろうなー。日本人好みだし。
塗装とか品質がちょっと怪しいんだけど、北欧デザイン!とかって宣伝すればみんなダマされるよ。
死ぬほど広い店内をくまなくチェックして、いろいろと考えてるうちに外はすっかり暗くなってしまった。
日没は5時くらいか。


 2002年11月5日(火) アンドロメディア 

朝6時に家を出てカサイとロンドンへ。バスの中で読書。
ロンドンでは普通に観光地巡りをして、昼はフィッシュ&チップスを食べたりしたわけで。

午後、デザイン博物館( http://www.designmuseum.org/ )というところへ。
そういえばここのWEBサイトはよく見てたのだった。
このデザインもピーター・サヴィル(ニュー・オーダーのジャケ等でお馴染み)ということが判明。
ほほー、そうなんですか。
展示も良かったです。オススメ。

テート・モダンはまぁ普通。急いでたのもあるが。

ピカデリー・サーカスでロンドン在住中の松本さんと待ち合わせて夕食。でも日本食レストラン…。
まぁ帰りのバスの時間がせまってたのでホントに夕食だけ食べて別れる。お元気で。


 2002年11月4日(月) ホームページまつり 

河西の通うカレッジ「Filton Collage」へ、通学のついでに連れて行ってもらう。
午前中は学生のふりしてインターネット端末をさわりつつ留守番。元気のいい若者が多くて気まずい…。
午後になって町の中心部(センター)へ。
翌日のロンドン行きのバスのチケットを買う。


 2002年11月3日(日) 機械生命体ゾイド 

サラレーベルのラストリリースとなったコンピ「There And Back Again Lane」の
ジャケットで有名なクリフトンの吊り橋へ案内してもらう。
家から歩いたけどけっこう遠かったような。坂が多い街だしな。


 2002年11月2日(土) そして伝説へ…やがて市内へ… 

おそるおそる近所を散策。チャイニーズの食材を売ってるお店で河西の買い物を見学したり。

夜は河西と同居人ニール君が友達のトルコ人のパーティに行くそうなので、ビビリつつ付いて行く。
しそ巻きゴハンみたいなの食べたんだっけ?
その後、花火を観てからPUBへ繰り出す。かっこいい?別にそんなんじゃありませんよ。


 2002年11月1日(金) 銀の食器 金のメッキ 

この朝、いかに忙しかったかは割愛。
まぁ荷物の準備はともかく、これから行くところについて何も調べられなかったのが残念。
クソ重い荷物(当時17kg)を転がして空港へダッシュ。しかし搭乗予定の飛行機が1時間の遅れ。
おわびに昼食用のお食事券をくれたよ。
しばらく食べられないと思って、(わりと)豪華な日本食を食べてみる。

強いて言えば、今回の旅行の目的は「カラマーゾフの兄弟」を読むことなので
離陸後、意気勇んで手荷物から文庫本を取り出してみたが、なんと(3)と(4)巻。
どこかで間違えたらしく、袋に入った(1)と(2)巻は預けた荷物の中…。
大ショックで、落ち込んでるうちにコペンハーゲンに着き、乗り換えてロンドンへ到着。
やれやれ、13時間くらいが無駄になったよ。
やっと出てきた荷物から文庫本を入れ替えて、ブリストル行きのバスを待ちながら読書。

ブリストルのBus&Coach Stationで、河西に迎えに来てもらう。おおお、再会は13ヶ月ぶりくらいか。
日付は変わったが、なんとか出発日の夜にはブリストルの友人宅に到着して眠れるんだから、すごいもんだね。
まぁ一日が33時間あったわけですが。

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